プロフィール

トレーナー紹介

新横浜フィットネススタジオ パーソナルトレーナー

衰えない体作り生涯パートナー 三村良輔

日本工学院八王子専門学校健康スポーツ化学科
メディカルフィットネストレーナーコース卒業

趣味 ⇨ 美術鑑賞、史跡巡り、食べること、読書、映画を見ること、自然に触れること、散歩、カフェ巡り、料理

資格

・背骨コンディショニングパーソナルトレーナー
・食トレコンディショニングインストラクター

社会活動

地域ケアプラザ 介護予防講習会  特別講師

経歴

・日本工学院八王子専門学校健康スポーツ科学科
メディカルフィットネストレーナーコース 卒業
・大手パーソナルトレーニングジム パーソナルトレーナー
・リハビリ型デイサービス トレーナー兼所長

小太りでやる気のない少年時代から「責任ある仕事」を担い大変化

小さい頃は運動嫌いの小太り少年でした。

映画が好きで、強い主人公に憧れがあり、自分もジャッキー・チェンのように強くなりたいと思いを寄せました。

小学校3年生のときに小学校の同級生に野球に誘われ、野球を始めたのが転機に。

グランドを走るのがとにかく嫌いで、いつもグループからは周回遅れでした。

しかし、ある日副キャプテンに抜擢され、自分の意識が変わりました。

なんと、責任ある立場になったところから、しっかりとグランド10周が走れるようになったのです。

周りからはある程度信頼されるようになり、言うことを聞いてくれるようになりました。

自分自身がこの野球を通じ、「責任」ということを意識するようになり、大変貴重な経験になりました。

学生時代の空手がまさかの展開に変わるとは思いませんでした

小学校、中学校は白球を追いかける野球少年でしたが、高校からは進路をガラリと変えました。

幼少のことに憧れていた「強い男」と言うのを目指し、空手の道へ。

当時K -1という格闘技が流行っていたのもありましたが、フルコンタクト空手へ進み、高校でも部活動で空手道をスタートしました。

ここで、「筋トレ」や「栄養学」に興味を持ち、【痩せた体でしなやかなカラダを作る方法】というのを研究していました。

空手をやっていたときはどうやったら早くパンチを出せるかいかにキックをカッコ良くできるかばかり考え、競争に打ち勝つことばかりを考え、人相もそのような顔に変わっていきました

孤立した存在になるべくそっちの道を好むようになり、一人黙々と筋トレやサンドバッグを打ち込む日々を送るようになりました。

今思うともっと違うことに興味を持ち、そっちに時間を使いたかったです。汗

この体作りがキッカケで、専門学校もトレーナーの学校へ行き、並行して総合格闘技の道を進みました。

交通事故で死にかけました

無事に専門学校へ進み、総合格闘技、バイトに打ち込み、睡眠時間も1日4時間くらいで、この生活リズムがカッコ良いと思うように。

本当に今思うと、なんと無駄な時間を過ごしたのかと恥ずかしい限りです

そんな生活をしているとき、ふと転機が訪れました。

なんと年末の空手の稽古の帰りに交通事故に遭ったのです。

原付で真っ直ぐ道を走っていると、車が右折してきて、そのままぶつかってきました。

事故の前後の記憶がなく、気づいたら両親が僕の顔を覗きこむ顔がありました。

幸い体は元気でしたが、歯が9本無くなりました。

けれども、当時のお医者さんのお陰で無事に復活することができました。

こんな経験からレスキューに携わり、自分も人を救いたい!という思いが強くなりました。

そこで、公安職へ進みました。

波乱万丈の我が半生

就職浪人を半年迎え、無事に公安職へ進みました。

公安職の訓練学校を1年間終え、現場配属は三重県の伊勢志摩へ決まり、配属になりました。

三重県のど田舎を過ごした20代。

時間もゆっくり進み、人とモノが溢れた場所で過ごしていたので、何もないことを苦痛でしょうがなく過ごしました。

なんと言っても、知り合いがいないことが苦痛で、誰ても話すことなく1日を終えるのが辛かったです。

社会人1年目の生活は辛く、大変でした。

社会人1年目は先輩、上司から叱られる日々でなんとも大変で、精神的にもまいり、親と電話で話す機会もしばしば。

先輩、上司が変わるも根っからのイジられキャラで、先輩上司が変わるも変わるがわるイジられる日々。

そんな積もり積もって、自分の人生を考えました。

このまま公務員で自分の人生を終えるのは果たして本当に良いのかな」と。

もう一度原点を振り返り、「健康の仕事に携わりたい!」という思いが強くなり、当時流行っていた大手パーソナルトレーニングジムのトレーナーになるべく転職しました。

そこでのトレーナーも1年で退職し、フリーランストレーナーという肩書きですぐに独立をしました。

しかし、集客を失敗。

貯金も300万もあったのもあっという間にそこをつき、借金150万を抱え、流れながれて、埼玉県の物流会社(発送代行)へ就職しました。

一度、定額の給料をもらいながら、自己を見つめ直し、将来のことを考えてみました。

交通事故のこと、公安職での経験、自分の祖父の経験など。

過去の思い出を走馬灯のように頭を駆け巡らせながら、1年間考えてみました。

出てきた答えは、「健康の仕事を通じて人を幸せにする」ことでした。

物流会社を1年で辞め、高齢者向けリハビリデイサービスに転職しました。

高齢者の方は体の不調が多く、「この人たちがもっと良くなったら幸せになるだろうなぁ」と考え、自分のなりに体のことを模索していました。

そこで出たのが「背骨を整えること」でした。

これが僕の今の「背骨を整えカラダを元気にする」仕事に繋がっています。

我が人生の最大のターニングポイント

ツラツラと自分の人生の振り返りで書かせて頂きました。

僕の人生の最大のターニングポイントは、「交通事故」です。

実は臨時体験や事故に遭う前に不思議な体験をしたことを今でも鮮明に覚えています。

あれは交通事故に遭う1ヶ月前。

総合格闘技をやっていたある日の夜。

夕食を終えて、お風呂へ入ろうとしたときに引き戸の扉が10cmほど開いている隙間からこちらを覗き見る黒い顔がいました。

僕と目が合うなり、驚いた顔をしてすぐに隠れました。

不思議な体験をしたなぁ」と半ば人ごとのようにしてやり過ごしていました。

その後、交通事故に。

事故したときに鮮明に覚えているのは、バイクで駐車場を出る瞬間、僕の第六感が働き、胸騒ぎが起きました

ドックン

心臓の音と視界が止まった感覚に陥り、その10分後に車と衝突していました。

さらに続きます。

1回目の目が覚めたときには、白い光の中で誰かと話していて、大笑いしている瞬間に目が覚めました

心も体も気持ち良く、痛みなども全く感じません。

どうやら、最初に運び込まれた病院で緊急治療をしていたようで、口の中に管が入れられ、出血している血を吸っている状況でした。

再びベッドの上で静かに目を閉じ、2回目に目が覚めたときに両親の顔が目の前にあったのです。

全身の痛みと倦怠感と3日くらいで退院だと思っていた矢先に医師からの「1ヶ月の入院宣告」を受けたショックで体も心もボロボロでした

この体験がクライアントへのセッションの在り方になっています。

体の不調で痛みや苦しみで辛い状況で、最終的に僕のところへ来て頂いてるワケですから、まずは耳を傾けることから始めています。

それだけでも痛みや苦しみが楽になるのは僕の経験からも実感しています。

将来の夢

僕は交通事故、貯金も底をつき、物流倉庫暮らしなどを経験し、思いました。

いずれも自分自身のエゴがそうしているんだなぁと。

そういったエゴを鎮める意味でも人里離れた田舎でゆっくりとスローライフを送りたいと思っています。

もちろん「背骨を整えカラダを良くすること」をやりながら。

そして、健康というテーマで切っても切り離せない「」というテーマで、農業も始めたいと思っています。

今は農業に時間とお金をかけられない分、コツコツと調べたり、触れたりしながら生きています

農業や食ということで情報を集めていますので、レッスン内で共有させて頂けたら幸いです。

こんな私ですがどうぞよろしくお願い致します。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。